G-SHOCK誕生秘話から導く、ロングランを生む強固なコンセプトの作り方

インタビュー 2018/11/20

未来志向の人々が学び合い、交流する場である早稲田大学の社会人向け教育プログラム「WASEDA NEO」では、毎回さまざまな業界で活躍するイノベーターを講師にお招きする“パイオニアセミナー”を開催しています。

 

2018年10月23日に開催したパイオニアセミナーでは、カシオ計算機株式会社のアドバイザリー・エンジニアである伊部菊雄氏にご登壇いただきました。伊部氏は世界中にファンを持つ腕時計『G-SHOCK』の生みの親。歴史的大ヒットを記録したG-SHOCKは、「たった一枚の提案書」から生まれたといいます。

 

講演のテーマは『累計出荷一億個のG-SHOCKマーケティング~失敗が生んだロングランと自分らしい働き方~』です。いかにしてG-SHOCKは売れ続けたのか、そして、伊部氏の経験からビジネスパーソンは何を学べるのか。当日の伊部氏の講演を抜粋して紹介します。

 

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<プロフィール>

 

カシオ計算機株式会社 羽村技術センター開発本部時計企画統轄部企画統轄室 アドバイザリー・エンジニア

伊部菊雄 氏

 

上智大学理工学部機械工学科卒業。カシオ計算機入社後、デジタル時計の構造開発を担当。1981年「落としても壊れない丈夫な時計」のテーマを掲げ、耐衝撃構造の開発を開始し、2年後に「G-SHOCK」として商品化。その後、外装にメタルを用いたG-SHOCK「MR-G」を実現し、電波ソーラーの「OCEANUS」や高品質&低価格(愛称:チープカシオ)の商品企画に従事。現在は企画業務と並行し、「Father Of G-SHOCK」として世界各国のG-SHOCKのイベントに参加し、ブランドの世界観を広める活動を行なう。G-SHOCKは2017年9月で累計一億個の生産を達成。時計業界を代表するヒット商品になっている。

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たった一行のテーマから、大ヒット商品『G-SHOCK』は誕生

G-SHOCKは、実は発売当初、あまり売れていませんでした(笑) 1996年に『少年ジャンプ』に開発ヒストリーの特集マンガが組まれ、テレビなどでも放映されるようになり、海外で先に火が点いたという経緯がありますが、そもそもは開発当初から失敗の連続でした。

 

まずは、今から37年前の出来事に遡ります。私は中学校の入学祝いに万年筆、高校では腕時計もらうという世代で、私自身も高校入学のお祝いに腕時計をもらいました。当時、腕時計は貴金属の部類で精密機器でしたから、『落とすと壊れる』のは常識。外す時も机の真ん中に置いていました。大学卒業後に入社したカシオ計算機の社内で、あるとき、すれ違いざまに人とぶつかり、その腕時計が落ちてバラバラに壊れてしまったのです。『落とすと壊れる』という“自分の中の常識”を実体験すると、ショックというより、「本当にその通りになるのだな」という感動すらありました。

 

私が在籍していた設計部では、新技術・新商品の提案書を毎月書くことになっていました。毎月それにトライするのですが、何を書くか迷ったときに、このときの腕時計が壊れた感動を思い出しました。構造案や基礎実験のスケジュールは白紙のまま、テーマ名に『落としても壊れない丈夫な時計』とだけ書いて提出すると、なんとこの提案にGOが出たのです。当時の上司は、すでに退職していて採用の理由は聞けていませんが、私なりの解釈としては、テーマの一文に説得力があったのだろうと思っています。

 

当時の腕時計は「薄型こそかっこいい」という時代でしたが、私が企画した時計は丈夫さを優先した分、大きく分厚くなってしまうことがわかっていましたから、なるべく目立たないところで実験しようと思いました。というのも、基礎実験すらしていないことが知られたくなかったので、当社の羽村技術センターの地上10mにある、3階トイレの窓から落下実験をすることにしました。しかし、想定していたゴムを巻きつける工法ではまったくダメで、時計をガードできませんでした。そこで、ソフトボールほどのサイズまでゴムを巻きつけて、ようやく実現に近づくような有り様だったのです。

 

この時、私の頭の中では「99%実現できない」という不安でいっぱいでした。人間は不可能性が70%を超えると、「いかに納得して諦めるか」を考え出すものだそうです。ところが、解決策を思いつかない責任をとって退職を覚悟していた前日に、残り1%の余力で解決法を見出すことができたのです。

 

羽村技術センターの隣にある公園で、打つ手なしの現状に呆然としていたところ、子供がボール遊びをしているのを見て、頭の中で文字通り裸電球が光りました。その子供が地面についているボールの真ん中に、時計の心臓部が浮かんでいるように映ったのです。それまで実験していた五段階に分けて衝撃を吸収する構造に加え、時計の心臓部を点で支える浮遊構造を組み合わせるという光明が見えました。

 

打開策となる構造が見えたので、次はこの形を実現する時計の材質を探り、当時は医療用途で使われていたウレタンに出会います。しかし、成型業者にウレタン成型をお願いしましたが、前例がないことから、「素材を変えて欲しい。形状を変えて欲しい」と逆にお願いされてしまいました。私は会社で『ヨイショの伊部』といわれるほど、人のモチベーションをあげることが得意でしたが(笑)、そこから成型業者のモチベーションを上げることにひたすら苦心しました。「あなたでなければ日本でできる人はいない」「ウレタンは必ず今後普及するので、一緒に歴史を創ろう」と呼びかけ、ついに納得するものができました。

 

いよいよ売り出されたG-SHOCKですが、まずはアメリカで成果が出始めます。実はアメリカでの販売時にはCMでの演出がとても大事ということから、アイスホッケーの選手にパックのように打たせる演出があったのですが、これに対し、「誇大広告ではないか?」と、視聴者の疑問に答える当時の人気番組に実証実験の要望がたくさん寄せられたそうです。番組内でCMと同じ実験が行なわれ、さらには巨大なトラックに踏ませたけれども、G-SHOCKは見事無事でした。想定以上のタフさが実現したのです。

 

これを機にアメリカでの人気に火が点き、90年代には「アメリカで流行っている腕時計」として、G-SHOCKは逆輸入のかたちで日本の雑貨店などでも扱われるようになりました。やがて、日本でもブームとなり、24時間フル稼働しても生産が追いつかないほどのヒットになりました。現在も「耐衝撃性」をベースに、G-SHOCKは進化を続けています。

 

「10文字」のキャッチフレーズから「25文字」のコンセプトにつなげる発想法

G-SHOCKを送り出してきた経験から、『ロングランの3要素』を見出すことができました。

 

1.いつの時代にも通じるコンセプトがあること

2.常に商品が新鮮であること(ただし、伝統となって進化しない良さもある)

3.社内外にファンを作ること

 

商品の根本である価値創造のために大切なのは、絶対に他社と比較しないことです。その第一は、『コア技術』、つまり、自社だけの強みを探すことです。これはテクノロジーに限らず、営業力や調達力、分析力も含まれます。次に、そのコア技術と別の強みを掛け合わせた上で、『ニッチを攻める意識』も必要です。

 

戦略、資金、人材といった企業力で勝負がつく範囲ではなく、ニッチはアイデア力の勝負になります。「ありそうでなかった」ということにこそ、チャンスがあると思います。そのアイデアを見つけるには、まず常識を疑うことです。世の中の『常識』に対して、「なぜ常識なのか」を考えるのです。たとえば、PCはキーボードで文字入力するものだという『常識』からスタートしてしまうと、タッチディスプレイという発想は生まれないはずです。

 

アイデアの見つけ方はほかにもあります。“自分の業界で通じる10文字”のキャチフレーズを考えてみると、それこそ『いつの時代にも通じるコンセプト』に化ける可能性があります。ガラスなら“強くて割れない”、輸送なら“早くてていねい”といったようなものです。次に、そこへ自社のコア技術をかけ合わせて25文字以内で表現するようにしてみましょう。言わば、「コア技術×不変のテーマ」の組み合わせです。ガラスを例にすれば、“透明セラミックス処理で強くて割れない”といったようにです。

 

25文字で行き詰まったら、改めて10文字に戻りましょう。アイデアは無限ですが、そのうちの99%は使えないと思ったほうがいい。いつも残り1%のために考えるのを諦めないことが大事です。アイデアが出るかどうかは能力ではなく、考えた時間に比例します。浮かばない場合は、単に考えている時間が少ないだけなのだと私は思っています。

 

「ファンのために作る」意識が強いモチベーションとなる

『ロングランの三要素』のひとつとして、『社内外にファンを作ること』を紹介しました。G-SHOCKは爆発的に売れた後にブームが落ちついた時期があり、それまで在庫不足だったものが供給過多になってしまいました。そのままでは叩き売りするか、処分するかを選ばなくてはなりません。私たちは、そのどちらも選択しませんでした。既存の一方通行なマーケティング施策を見直し、世界中にいるファンへG-SHOCKの本質を伝えるための“双方向の取り組み”にシフトチェンジするかたちで、ブランディング活動を続けることにしたのです。2008年からファン・コミュニケーションの構築を再考したことから、“ファンづくりの大切さ”を実感しました。

 

そのコミュニケーションのひとつが、『SHOCK THE WORLD TOUR』と呼んでいるファンフェスタです。私はそのファンフェスタを通じ、世界中の都市で開発ストーリーやG-SHOCKのミッションを紹介しています。その際、通訳を介さずに現地の母国語で20分ほど話すことに努めています。通訳者をはさむことで、私たちの思いが伝えきれないと考えてのことですが、近年、このことをYouTubeなどで拡散され、広く知られるようになってしまいました。今では、もし、私が現地の言葉で話さないと、ファンや取材に訪れたメディアから「サボっているのでは?」と周囲から思われてしまうので裏切れません(笑)

 

私がこのファンフェスタで必ずみなさんに伝えるようにしていることは、「あきらめないで!(Never, Never, Never give up!)」というメッセージで、開発ストーリーは、まさにこの言葉に集約されています。

 

もし、私のように開発ストーリーを誰かに話したり、ファンと交流したりする機会があったときに思い出していただきたいのは、大切なのは“ユーザー目線”と“人間臭さ”であるということです。これは「私だからできる」という話ではありません。そこさえ意識をすれば、どんな方であっても共感を得られるはずです。

 

このことは、かつてある新聞社からロングインタビューの連載企画をいただき、複数回にわたって取材を受けたことがきっかけで気が付きました。幼い頃の来歴から始まり、G-SHOCKの開発に至るまで、とにかく失敗談や苦労談に重点を置いた質問ばかりをされたのです。不思議に思い、その意図について聞いてみると、その担当記者が言うには「人々が共感を寄せるのは、どれだけ苦労や失敗をしたか」ということに尽きるというのです。つまり、そうした失敗談こそ、心を動かし共感してもらうために必要だということなのです。

 

何より、ファンづくりを意識すると良いことがほかにもあります。「世界中の自社のファンのために、新しいことにチャレンジして実現する!」と考えると、体の中からやる気が湧き上がってきませんか?

 

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G-SHOCKという一大ブランドを育てた伊部氏の経験から来る教えは、多くのビジネスパーソンにとっての『基礎力』となるであろう学びに満ちていました。以前、このWASEDA NEOで実施した伊部氏へのインタビューでは、「ゴミを作っていないか?と自問自答する」という伊部氏の考えも明かされました。価値ある商品を作り、いかにファンを育てるのか。モノであふれる現代こそ、この視点の重要性はさらに増していると感じました。

 

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