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シャネル成長の功労者、リシャール・コラス氏のリーダー論とは?

インタビュー 2018/6/30

未来志向の人々が学び合い交流する場である「WASEDA NEO」では、毎回さまざまな業界で活躍するイノベーターを講師にお招きする“パイオニアセミナー”を開催しています。

 

今回は、シャネル株式会社代表取締役社長のリシャール・コラス氏にご登壇いただきました。

コラス氏は、1995年に社長に就任以来、バブル崩壊やリーマンショックなど数々の苦難を乗り越え、格式と伝統あるラグジュアリーブランド「シャネル」の確固たる地位を維持してきた立役者です。

 

講演のテーマは、“Manager or Leader? Routine or Excitement?”です。

経営者にとって大事な要素は、「マネージャー」に留まることなのか、それともリーダーとして奮闘することなのでしょうか。真のリーダーとは何かを、2018年5月24日に開催されたコラス氏の講演から紹介します。

 

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<プロフィール>

シャネル株式会社代表取締役社長

リシャール・コラス(Richard Collasse)氏

 

1953年フランス・オード地方生まれ。1975年パリ大学東洋語学部卒業後、2年間在日フランス大使館儀典課に勤務。日本のオーディオメーカー「AKAI」のフランス代理店勤務を経て、1979年ジバンシィに入社。ジバンシィ日本法人設立に参加し、4年間代表取締役を務める。1985年シャネル株式会社に香水化粧品本部本部長として入社。1993年より2年間、香港のシャネルリミティッドでマネージングディレクターを務め、1995年シャネル株式会社代表取締役社長に就任。現在に至る。2004年よりシャネルとアラン・デュカス氏とのジョイントベンチャーであるシャネル銀座ビル10Fのレストラン「ベージュ アラン・デュカス 東京」(C&D株式会社)の代表取締役社長も兼任する。

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独特な世界観を持つシャネルという会社の特徴

シャネルの特徴はいくつかありますが、まず、”A single ownership”であるということ。20世紀の始めに初代オーナーがココ・シャネルとビジネスを始めて、現在のオーナーで三代目になります。ココと現オーナーに血のつながりはありませんが、家族的なスピリッツがあります。オーナーシップがひとつだからこそ、根本的な考えはずっと同じで、ブレずに、進化し続けられることが成功の秘訣と言えます。

 

ココは、みんなが支持する流行が嫌いでした。だからこそ次々と新しい素材を探し、19世紀にこれまで男性下着にしか使われなかったジャージー素材を見つけてドレスにしました。他の人がフォローしない新しい道を、常にフォローするのがモットー。“Always dare be different”。だからこそ、”It’s OK to be different.”なのです。

 

数年前にシャネルのハンドバッグの新聞広告を出したときのメッセージは、”In forever”でした。これもシャネルの根本的な考え方のひとつです。私は、これまでオーナーから今年の利益について問われたことはありません。その替わり言われるのは、「来年の予算はNO.5の香水に投資しないとダメだ」ということです。

そう問われるのには理由があります。なぜなら“シャネルNo.5”は100年前からある香水にも関わらず、未だに世界で一番売れている香水だからです。香りの原料自体は100年前からそれほど変わっていません。今の若い方からしてみたら、おばあちゃん世代の香水です。でも、個性的でよく完成された素晴らしい香水なのです。

 

セールスとブランド力をキープできている要因のひとつに、1924年の発売以来、時代を読みながら容器のデザインを変化させていることが挙げられます。たとえば、50年代はアメ車の時代だから容器にも丸みがあり、60年代はイタリアンデザインの時代だからシンプルにしていました。

 

経営者として、自分の直感を信じる

私は経営者として自分に嘘はつきません。

“The Deep Truth is the only story”。スティーブ・ジョブスもこのように言っています。

 

100%確かめることがビジネスの差をつけるとよく言われますが、それでは同じことばかりになってしまいます。最終的な決定をするとき、私の場合、80%は直感、20%は周りから聞いた事実で決めます。

 

ですから、自分の直感を信じることが大切だと考えています。もちろん、いつも自分が正しいとは思っていませんが、「これをやろう!」と感じたらすぐに実行します。人を採用するときも、8割は直感で決めています。逆に、直感ではネガティブでも候補者の経験やスペックで選ぶときには、かならず失敗してきました。以来、自分の直感を信じるようにしたら失敗が少なくなりました。

 

 

プランAが唯一で理想なら、プランBはない

直感を信じるようになると、私にはプランAしかなくなりました。プランBはありません。結局、プランAが一番理想的でやりたいことなのです。Bはそれよりもレベルが落ちます。人間は怠け者なので、ちょっとでも壁にぶつかるとプランBを選んでしまうものです。小さな部分ではそれもありでしょう。しかし、大きな仕事ほどプランAを実行するために全力で行動することが大事だと考えます。日本人はよく「ありえない」「できない」などと口にしますが、それは裏を返せば、単にやりたくないだけなのです。

 

 

ずっと同じ環境にいるとアンテナが鈍ってしまう

“Keep your eyes wide open! and ears!”

私はいつもこの言葉を自分に言い聞かせています。

若い頃、こんなことがありました。ある日、最寄り駅から帰宅していたら、あったはずの古い一軒家がなくなって、新しい家が建っていました。毎日同じ道を通っているのに、今までそのことに気がつかなかったことが、とてもショックでした。人間は怠け者だから、同じ環境にいるとまわりのことに気がつきにくくなるものです。

たまに私が店番をしてみると、店舗の片隅の電球が切れていることに気がつくことがあります。そういう小さなことにも気がつけることが重要なのです。

 

ビジネスの不可能を可能にする粘り強さとは?

私はシャネルに入社する前、今から40年近く前に、日本でジバンシィの会社を作りました。当時のジバンシィは、日本での知名度は高くなく、会社の規模は小さく、予算もありませんでした。当時ジバンシィは、アメリカでリンカーンなどの車の内装デザインを手がけていましたので、私は日本でも同じようなことを行えないだろうかと考えました。当時CMスポンサーとして大きな予算を持っていた日本車メーカーと手を組むことで、少ない予算でCM露出が増え、知名度がアップすると考えたのです。

 

さらに調べると、車を選ぶのは女性だということが分かり、「これだ!」と思いました。売り上げ向上が命題であった日産自動車のローレルに目をつけ、宣伝部長を紹介してもらい、半年がかりで日産に通って交渉を続け、ジバンシィが内装デザインを担当する契約を取り付けました。でも、私の本当の目的はそこではなく、CMプロモーションです。

 

1回目のCMでは、露出のほとんどは車で、最後の数秒だけジバンシィ本人が登場するというものでした。これではプロモーションとして不十分です。そこで、次のCMではシナリオを逆転させて、冒頭からジバンシィが素敵な服を着て登場し、車は最後の数秒に。おかげさまであっという間に知名度がアップしました。

 

時を経て1983年、ジバンシィの30周年のショーを日本でやろうと考えました。今でこそいろいろなところでショーが開催されていますが、当時は、帝国ホテルやホテルオークラでやるのが常識でした。しかし、それではおもしろくないので、NHKホールでの開催を考えました。

 

自社のプロデューサーからは、「NHKホールでファッションショーをやるなんてあり得ない」と言われました。当時の日本には、ファッションは文化だ、という認識がなかったのです。

ただ、朝日新聞社はファッションを“文化”と認識し、女性読者を取り込みたいこともあって、ファッションブランドのショーを積極的に記事で取り上げ始めていたのです。

私が企画を持ち込むと、「それはあり得ない」と朝日新聞社の記者に言われました。しかし私は、「世界の文化を伝えることはNHKだからできること。あなたたちがファッションをカルチャーとして認識しているのであれば、やりましょう。ジバンシィはファッションブランドの一つであるが、同時に現代のフランス文化の一部でもあるのです。」と説得しました。

 

それを受けて朝日新聞社がNHKに話を持ち込んだのですが、結局ダメでした。それでも私はひるまず、「今日や明日はダメかもしれないが、たとえば明後日、読売新聞社や毎日新聞社が似たような企画を持ち込んで成功したとしたら、それを自分に許せるのですか?」と記者に問いました。すると朝日新聞社のトップは、何度かの交渉の末、NHKホールでのファッションショーを実現させました。

 

今振り返ってみると、150人のモデルを海外から連れてきて、誰も見たことのない演出を駆使した、35年前としてはあり得ないほどの大規模なショーでした。大きなスクリーンと50台のスライドを用意したのですが、当時その機材が日本にはなかったため、わざわざアメリカから運んできて、フランスの文化を紹介しました。

ベルサイユ宮殿やコンコルド、春夏秋冬のフランスの森、そして最後に春のコレクションにあわせて春の美しいイメージが流れました。朝日新聞社には、「これができないならこのショーはやらない」と伝えていました。それこそが私のプランAです。プランBはありません。

 

時代を読んで決断することの重要性

日本には、昔から“舶来品信仰”があり、高くなければ舶来品じゃないという意識から、海外ブランドの商品の価格を百貨店が意識的に上げてきた経緯があります。

 

輸入品の内外価格差は大きく、そのシンボリックな存在がシャネルだったのです。実際、リップスティックはフランスの倍の価格でした。

 

そんな中、私は自社商品の価格を下げることを決断し、通産省に伝えました。もちろん、「そんなことしたらラグジュアリーイメージが下がる」ということで、フランス本国との戦いがたくさんありました。しかし、消費者の利益になるということで、むしろシャネルのイメージは逆にアップしたのです。

 

あのとき、資生堂の社長から「価格を下げるのはやめてほしい」と言われました。なぜなら、国産ブランドのコスメが、フランス産のシャネルのコスメより高くなってしまうことはあり得ないからです。外資の競合ブランドも慌て始めました。私は、その対策や流通機構についても計算済みでした。どのラグジュアリーブランドよりも先んじてやることが大事だと思っていたからです。

 

 

シャネルの制作に関わる人は、どんなスタッフもすべてファミリー

シャネルが銀座にビルを建設するとき、シャネルの世界観に共感してくれているアメリカの有名デザイナー ピーター・マリノ氏に依頼したのですが、私は責任者として、毎日工事現場に通いました。ただ黙ってお金を払うことはしたくなくて、細かく口を出すことが私の信条です。

 

現場では若いとび職人たちがきびきびと働いていて、その仕事ぶりに感動しました。彼らは私たちと同じく、自分たちの仕事に誇りを持っていると実感したのです。だから、彼らへのリスペクトを込めて、ネーム入りのプレートを作りたいと考えました。

 

そこで、ビルの建設に関わった職人全員の名前を教えてほしいとお願いすると、「そんなことを言っていただけるなんて」と建設会社の社長が涙を流したのですが、同時に困ってしまいました。なぜなら建設の現場は、多重下請け構造。誰が関わったのかをすべて知ることが難しく、なかなか名前が揃わなかったのです。私としては、夜の交通整理を1人で一生懸命してくれた男性も含め、全員の名前を入れたいと考えていました。結果、建設に関わった2,000人以上の名前が集まりました。そのネーム入りプレートは、今も銀座ビルの人の目につきやすい場所に貼ってあります。これがシャネルのスピリットです。私はシャネルの建物を作ってくれた彼らも我々のファミリーだと思っています。

 

日仏の150年越しの交流を蘇らせて、不可能を可能に

2012年に、シャネルは世界のオートクチュールを日本でお披露目するイベントをやりたいと考え新宿御苑にオファーを入れたのですが、「ありえない」と、あっさり断られました。もちろん、新宿御苑の歴史は明治維新にさかのぼり、天皇ゆかりのイベント以外で民間に貸したことがないため無理もないと思います。

 

こんなときでも、私がリーダーシップを発揮するために大事にしていることは、いろいろな人と話すことです。ある人に相談したら、友人に宮内庁長官がいるということでご紹介いただくことができました。ところが、新宿御苑は環境省の管轄だということで、その担当者に会いに行くことになります。すると、その人はあくまで紹介者の長官の顔をつぶさないよう「ノー」とは直接いわず、それとなく私が諦めるよう、あれこれ課題を課してきたのです。

 

それでも諦めず、新宿御苑に何十回も足を運んでいました。ある日、オフィスの壁に飾ってある新宿御苑の写真が目に止まりました。そして写真の一角にフレンチガーデンを見つけたのです。聞けば、今から150年前、日本は初めてパリ万博に出展し、1,500本の菊の大作りを披露したそうです。このとき明治天皇は、菊の大作りを展覧会で披露できるよう庭師たちをパリ万博に送り込みました。同時に、せっかくパリに行くのだからということで、日本にはないものを持ち帰り、新宿御苑に植えるように命じたのです。それがフレンチガーデンでした。

 

日本の職人たちは、ベルサイユ宮殿の職人たちと交流し、フランスからバラ園を持ち込みました。私は、このときの日仏の交流に感動し、「これだ!」と思いました。

同時に、現在のフレンチガーデンは、時代や度重なる戦争を経て、すっかり日本化されていたことにも着目。さっそく私が考えたプランを環境庁にしてみました。「私たちの努力で、150年前にもあったご縁を結びつけたらいかがでしょう?」。私のプランは、ベルサイユ宮殿にもう一度菊の大作りを持ち込み、日本では新宿御苑のフレンチガーデンを蘇らせて、日仏の文化交流の一環としてシャネルのカンファレンスを開催するということです。

 

環境庁の担当者はOKしてくれましたが、彼の目の奥には、「あと2ヶ月でそんなことできるはずがない」という嘲笑が浮かんでいるように感じられました。実際、ベルサイユ宮殿から承諾を得て、両国にそれぞれの国の植物を持ち込み、さらに新宿御苑でさまざまなカンファレンスを開催するなど、スケジュール的に実現させることが非常に困難であることは確かです。

 

さっそく私はパリ本国のシャネルに連絡して、ベルサイユ宮殿の総裁にコンタクトを取らせました。すると2日後、タイミングがよく、ベルサイユ宮殿としては広く宣伝したいという意図もあり、承諾が下りたのです。

 

それから急ピッチで両者の協定を結ぶところまでこぎつけ、結果、両国ですばらしいイベントを開催することができましたが、それはもう大変な仕事でした。フランスは外国から植物や土を持ち込めません。しかし、大統領にまでかけあい、許諾を得て、ベルサイユ宮殿では日本の菊の大作りが展示され、150年ぶりの日仏の縁結びをすることができたのです。宮内庁長官の話によると、天皇陛下も喜ばしいことだと評価されたとのことです。

 

真のリーダーのあるべき姿は、失敗を恐れず前に進むこと

重要なのは、ビジネスをリードするときには、いかに相手の利益を考えるかということ。この件では、新宿御苑の利益も考えたからこそ、成功したのだと思います。それから、やはりクリエイティビティや直感力も大切です。

 

ジバンシィのショーのときも、新宿御苑のシャネルのショーのときも、ほかの社員は誰もできると思っていませんでした。あまりにも大きなイベントということもあって、「失敗したらどうしよう」と震えていました。だからこそ私は、「失敗したらそのときは全部私の責任だ」と言って、突き進んだのです。

 

東日本大震災のときも、私は百貨店の責任者から怒られるのを覚悟で、真っ先に社員とその家族を守るためにすべてのシャネルの店舗を早急にクローズさせました。なぜならそれは、シャネルの責任者としての私の責務だからです。

“真のリーダーである”ということは、人を引っ張り、失敗を恐れずに実行しなければならないのです。

 

 

 

※本セミナーのファシリテーターは、早稲田大学 社会人教育事業室長 太田正孝が務めました。

 

<今後のパイオニアセミナーについて>

Warm Heart × Cool Headな事業経営~社会性とビジネスの狭間で~

講師:山崎 太祐(マザーハウス 副社長)

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