ジャパネットたかた創業者・髙田明氏に学ぶ、「商売の極意」とは?<後編>

パイオニア・コミュニティ 2018/5/16

未来志向の人々が学び合い交流する場である「WASEDA NEO」では、毎回さまざまな業界で活躍するイノベーターを講師にお招きする“パイオニアセミナー”を実施しています。

 

3月13日に行なわれた“パイオニアセミナー”で登壇いただいたのは、ジャパネットたかた創業者の髙田明氏。髙田氏は3年前にジャパネットたかたホールディングスから退任し、現在は、サッカーJ1クラブチーム「V・ファーレン長崎」の運営を手がけながら、講演活動をしています。

 

「ジャパネットたかた」仕込みの“伝えることのプロ”である髙田氏。そんな髙田氏は、“今”を生きることをモットーに走り続け、“未来”を創造してきました。前回に引き続き、今回は3月13日に行なわれた講演から、髙田氏の経営哲学について語っていただいた内容を紹介します。あのヒット商品を手がけたことで、見えてきたこととは?

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<プロフィール>

高田明さん

1948年長崎・平戸生まれ。2015年に株式会社ジャパネットたかたの代表取締役を退任後、株式会社A and Liveを設立。サッカーJ1クラブチーム 「株式会社V・ファーレン長崎」代表取締役社長に就任。著書に『伝えることから始めよう』(東洋経済新報社)などがある。

http://www.aandlive.com/profile

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“今”を生きてきたからこそ、実現できたこと

私は、長崎県・平戸のカメラ販売店の家に生まれました。出身大学は、大阪経済大学。どれくらい知っている人がいるでしょう。でも、ハーバード大学はみなさんご存じですよね?でも、学歴や偏差値は関係ありません。

 

私の両親が長崎県・平戸で始めたカメラ販売店の売上は、当時で年商3,000万円。つい先日、私が退任したジャパネットたかたホールディングスの売上を聞いたら、1,930億円を越えていました。「場所が長崎の平戸ではそもそも限界がある」と思っていたら、成長はそこでおしまいです。場所が北海道や沖縄の端の方であったとしても、そんなことは関係ありません。人口が少ない町だからビジネスはできない? 本当にそうでしょうか。アメリカ・アーカンソー州の小さな田舎町から、世界一のECサイトのアマゾンと互角に戦えるウォールマートが生まれた例だってあるのです。結局は、人の気の持ちようなのです。

 

商売とは、作り手の努力を見せて、価値を見出してもらうこと


これまで私が販売してきた商品についてお話ししましょう。ポーランド製の羽毛布団を販売したことがあり、たった1日で何十億円も売れる大ヒット商品でした。寒い地域の鳥は、寒さから身を守るためにたくさんの羽毛を蓄えます。それを使った羽毛布団で、価格は29,800円。そのよさを伝えるために私は、撮影スタッフ10人と一緒にワルシャワに現地入りしました。そこで、ひな鳥がどのように育てられているかを撮影し、どれだけ農家の方が苦労して育て、いかに高品質の羽毛を生産していくか?ということをアピールしたのです。

 

お客さんの心を動かすのは、値段だけではないのです。その商品の背景には、たくさん苦労した人たちがいます。それは、農家でも漁業でも同じです。とりわけ漁業の人は、船に乗って漁に出るぶん、命がけで働いているわけです。だからこそ商売というのは、そういう作り手の努力を見せながら、物の価格に乗せていかなければならないことを実感しています。

 

発想の転換ひとつで売れないモノが爆発的にヒットする!

それからカシオの電子辞書が爆発的にヒットしたのも、若い頃、サラリーマン時代に海外で通訳として各国を旅した経験が役立ちました。当時はまだ23歳で、まさか自分が「ジャパネットたかた」という会社を立ち上げるなんて思ってもいませんでした。

 

販売当時、電子辞書のユーザーのほとんどは学生でした。そこで、少子高齢化時代ということもあって、あえて通販のメインの顧客でもあるシニア層に買っていただける仕様を考えました。ここで普通は、「辞書は学生さんしか買わないもの」という固定概念があります。

 

電子辞書で10万語の発音が聞けて、語学の発音が向上するわけですから、私が考えたのは、こんなストーリーです。たとえば70歳になる奥様が、3歳のお孫さんと海外へ行きました。するとお孫さんが、「今日の朝食は、あのエッグマフィンが食べたい」と言います。「あらゆる言語の発音がしっかり身につき、たった5つの英語を覚えるだけ。将来、お孫さんをインターナショナルな子どもに育てませんか?」と紹介したところ、29,800円のカシオの電子辞書が、たった30分間で1億円の売り上げとなったのです。

 

どんなビジネスでも、その一瞬に賭けて最高のパフォーマンスを

私は、サラリーマンを辞めた後は長崎県・平戸で両親が興したカメラ販売店で働き、その後30歳で長崎県・佐世保に支店を出して37歳で独立し、40歳になるまで、ずっとホテルなどの宴会の写真を撮っていました。40歳をすぎてから、通販ビジネスを本格的に始めるのですが、それでも決して遅くはないのです。いつ始めても、始めるのに遅いということはありません。やらないよりははるかにマシです。そこで学んだことが、前編でもお伝えした、“今”を生きることでした。

 

写真はシャッターさえ押せば写ります。でも、売れる写真を撮るのが一番難しいのです。売れるために必要なのは、想いを込めること。お客さん目線で、お客さんが必ず喜ぶような、感動するスナップを撮ることに命を賭けるのです。撮るのが下手な人は、お客さんが目を瞑ったり横を向いたりしても撮ってしまいます。もちろん、そんな写真ではまったく売れません。だから私は、お客さんに声をかけました。「奥さん、こっち向いてください」。でもカメラを構えるとすぐに下を向いてしまいます。だから、「こっちを向いてください!」と繰り返します。明るく大きい声で呼びかけると、すべていい表情で写ります。平戸で5年、佐世保で10年、そうやって鍛えていたから、テレビでもあんなに高い声が出せたのかもしれません(笑)。

 

“写真映え”することも重要ですが、人が喜ぶものを提供することが一番大事だと思うのです。どうしたらその中で最高のパフォーマンスを出せるかということを考える視点を持てば、ビジネスも人生も変わってきます。

 

お客さんに「欲しい!」と思わせるためのひらめき

やがて佐世保時代には、ソニーの特約店となりました。当時、ソニーが販売していたパスポートサイズのビデオカメラで、198,000円の商品に興味を持ったからです。すると2ヵ月後には100台売れて、九州でトップになりました。このとき私が売れるためにした工夫はどんなことだと思いますか?

 

写真屋だから、昼は家族写真などのプリントをしているので、お客さんの家にお子さんやお孫さんがいるということがわかります。そこで、「ちょっと仕事が終わったあと訪問してもいいですか?」と電話をかけるのです。家にお邪魔して、お子さんやお孫さんをビデオカメラで映してテレビで見せると、その瞬間に、半分のお客さんは買ってくれました。2回通っても売れない場合、3回通うこともありました。犬に噛まれそうになったこともあります(笑)。それでも負けずに通いました。そこでお客さんが言います。「そこまでお金が出せない」。そこですかさず、「いいんですよ、分割払いで」と答えます。それが、「金利手数料ジャパネットが負担」の原点です。こうしたお客さんが買いやすくするための“ひらめき”や“アイデア”は、今を生きている人には、必ず作り出す力があるものなのです。今を生きることでどんどん自己を更新し、自分の夢に近づいていくものだと私は強く信じています。

努力を続けることで、あるときビジネスが花ひらく

先ほど、ソニーのビデオカメラを100台売ったといいましたが、そのためにはカメラ店の顧客だけではとても到達できない数字です。そこで、なにをしたか?クリーニング屋に行ったり、ガス屋を紹介してもらったりして顧客を広げる必要がありました。ガス屋は、各戸の点検がありますから、基本ルート営業なのです。だから私はそれについて行くことにした結果、顧客が大きく広がったのです。やがてソニーの商品だけでなく、今度はパイオニアのカラオケの商品にも手を広げるようになりました。

 

一気に商売が大きくなっていったわけではなく、そうやって一歩一歩進みながら、その都度ひらめきが出てきたかたちです。その成長のスピードは不思議なもので、100段の階段を上るのに1段に1年かかるとしたら、100年かかるわけではありません。10段までは10年がかりでも、11段から20段までは、2年くらいで上れてしまうのです。努力を重ねるからこそ、一気に花開き、急成長するのでしょう。これを常に続けられるかどうかが、重要なのです。

 

ラジオやテレビショッピングで学んだ「伝える」ことの大切さ

やがて、ラジオショッピングに出会うわけですが、そもそもテレビCMを打つほど広告費が出せないから、ラジオで宣伝していたのが発端です。ある日、ラジオ局の人から「喋ってみますか?」といわれて出演してみたら、19,800円のカメラが50台売れました。売上にして100万円です。たった5分間喋っただけですよ。

 

これはすごいということで調べてみたら、全国どこでもラジオショッピングをやっていることがわかりました。そこで、全国ネットワークを作ることに。「なぜ社長自ら喋るの?」とよく聞かれますが、私しかやる人がいなかったのです。自分が行動しなければ誰がする?です。以来、北は北海道から南は沖縄まで、3〜4年でネットワークを拡げました。

 

もちろんラジオだから販売する商品は見えません。それでも、298,000円もする商品が売れるのです。なぜ見えないものが売れるのでしょう。いいえ、お客さんには見えるのです。お客さんは、ラジオを聞きながら、心の中で商品を見ているのです。だから私は難しい言葉は使いませんでした。誰にでもわかりやすい言葉で伝えるべきだと思ったのです。このとき感じたのは、伝えることの大切さです。イントネーションは絶対標準語にしようと思いましたが、未だにサッカークラブのJ1を「ぜーわん」と発音してしまいます(笑)。でも、これを修正する必要はありません。なぜなら、自然体で会話をするほうが一番伝わるからです。

 

亡き井上ひさし先生は、2010年にNHKの番組で、「先生はどのように小説を書いていますか?」と聞かれたとき、「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に、愉快なことはあくまで愉快に」と答えているのを知り、私と同じだと思いました。誰が聞いてもわかるように「伝える」ためには、シンプルに自分の言葉で伝えていくことがいかに大切かということを実感しました。

 

できる理由の5%を100%にすれば、不可能が可能になる

そんな中、契機となったのは、宮城県でのラジオ放送のときのこと。当時、128,000円の5倍ズームのビデオカメラを販売したのですが、たった5分間で、200台、2,500万円の売上となりました。次第にテレビショッピングを始めたら、いつの間にか年商が100億円を越えるようになったのです。売上が200億円規模になった頃、パソコンが登場しました。ワープロからパソコンに移り変わり、3ヵ月に1回は新商品が出るサイクルで進化しているので、当初は戸惑いました。

 

当時は自社スタジオがなかったから、6年間、朝6時からスタジオに通いました。すると、2ヵ月前に収録したものを放送する頃には、すでに新商品が出ていたのです。もはや量販店も安くなっていて勝てない。そこで自社スタジオを作ろうと思ったら、みんな大反対。撮影の技術者が1人もいないのに、どうやってスタジオを回せるのかと言われましたが、私はできると信じていました。

 

当時の総務省より衛星放送の許可が取れましたが、2001年3月から放送を始めなければ免許は取り消しです。そこで、10人の社員を研修に出しました。でもそれだけでは足りないので、派遣会社から10人雇って20人体制で始めることにしました。派遣会社に支払う費用は、1人100万円だから、1,000万円。ラジオで稼いだ分を投資しました。そして、20人で3月の放送をスタートさせ、キャリアを積みながら、現在の100人体制へ。そのとき私が諦めていたら、今のジャパネットたかたはありません。大事なのはスピードです。今朝商談した商品が夕方には放送できる。こんなにスピード力のある生放送はほかにあるでしょうか。

 

私が思うに、「できない」理由は2つだけです。単純に自分ができると信じていないから。自分を信じていなかったら何もできません。もう一つはできない理由ばかりを考えてしまう事。できない理由が95%なら、5%はできるということ。できる理由の5%を100%に膨らませることを考えて、できない理由を捨てたら、不可能は可能になります。これはとても大事なことだと思います。

 

“今”を生きて課題をクリアすれば、大きな“未来”が創れる

自社スタジオでの収録は軌道に乗り、やがて年商は500億円となり、新聞に折り込み広告を入れるようになると、600億円に到達しました。でも、2〜3年同じ手法でやっているうちに消費者にも飽きが生じるだろうと考え、提案の仕方に変化を加えてみることにしました。そこで、「明日の朝刊をみてください」と伝えるだけの前代未聞のCMを考えたのです。それだけで、チラシの売上は何倍にも上がりました。

 

そのような経緯でいろんな問題を乗り越え、成長してきたのがジャパネットたかたです。別に売上1500億円を突破しようとか、数字を目指してきたわけではありません。ただただ、そのときどきで、今やらなければいけないことに向かっていたら、課題が見えてきて、その課題をどうしたら乗り越えられるかを考え続けた結果、今のジャパネットたかたがあり、私があると思っています。

 

V・ファーレン長崎の経営再生もそれを実行しただけです。もちろん、今もやらなければならない課題はまだまだいっぱいあります。そのために優先順位をつけて何を改革すればいいかということを現在も取り組んでいるところです。だから、一度にはできません。

 

最後になりますが、私たちは“縁”によって生かされています。この“パイオニアセミナー”もご縁のひとつです。縁は生かさないともったいないし、縁に気づかないのはもっともったいないことです。頑張った人には、同じ価値観を持った人が必ず集まってきます。私が頑張らなかったら、妻はとっくに逃げていたかもしれません。子どもたちも一生懸命応援してくれました。そしてメーカーさんや大勢の方にも助けられ、仲間となり、そして消費者の方も仲間に加わり、今のジャパネットがあると思っています。

パイオニアセミナーは今後も開催していきますので、是非ご参加ください。

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