なぜ一流の人は「銀座」に集うのか?銀座のママに学ぶ「人間力」と「おもてなし力」

イベント パイオニア・コミュニティ 2021/2/18

日本一地価が高いエリアとして知られる「銀座」。今も昔も一流のビジネスパーソンが集う国内有数の歓楽街や社交場がそこにはあります。

そんな銀座で長年クラブや飲食店を経営するのが、「クラブ稲葉」オーナーママの白坂亜紀氏です。

1月27日のパイオニアセミナーでは、白坂氏をお迎えし、オンラインと対面のハイブリッド形式でセミナーを開催。

一流の紳士やビジネスパーソンの定義、そして若い世代の人材育成、銀座からの発信企画など、盛りだくさんの内容でお話をいただきました。

 

クラブ稲葉オーナーママ 白坂亜紀 氏

大分県竹田市出身。早稲田大学第一文学部在学中に日本橋の老舗クラブで女子大生ママとなる。96年に独立して銀座でクラブ2店舗を開業し、多くのマスコミに取材される。その後、Barと和食店を開業し4店舗の経営者に。2人の子を持つ母親として主婦業もこなす。現在は、「クラブ稲葉」のオーナーママのほか、銀座料理飲食業組合連合会理事、一般社団法人銀座社交料飲協会副会長、銀座ミツバチプロジェクト理事、銀座なでしこ会代表、大分県竹田市東京事務所長、大分県豊の国かぼす特命大使、早稲田大学校友会中央稲門会会長、株式会社白坂企画代表取締役を務める。2018年、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」「銀座、夜の女たちスペシャル」 に出演。2020年、ケント・ギルバート氏との共著『粋で鯔背なニッポン論』を出版。

 

景気が良くなるのも悪くなるのも、銀座から

冒頭では「銀座」の街の特性について教えていただきました。銀座は国内有数の歓楽街だけに、景気の影響をダイレクトに受けやすく、「景気が良くなるのも悪くなるのも銀座から」であると説明。

白坂氏が早稲田大学の学生だった1986年当時は、バブルの絶頂期。当時は景気が良すぎてホステスが足りず、学生のなり手に需要があった時代でした。

白坂氏は、大学を卒業してからも就職せずに、本職のホステスとして銀座に残ることに。その背景を語る白坂氏。

「男女雇用機会均等法が施行されたものの、まだまだ女子学生が社会で活躍できるような時代ではありませんでした。どんなに景気がいい時代に大卒で大手企業に就職しても、男性と同じようには働けない。それならばと、水商売に女性が活躍できるチャンスを見出しました」

 

“売上主義”のホステスだからこそ磨かれた「良客」の見抜き方

華やかなイメージのあるホステス。ところが、白坂氏の話により、意外と過酷な実情が見えてきました。

「営業が終了したら仕事は終わりではなく、お客さんとの二次会、三次会が常。そして帰宅してからも、お客さんへのお礼メールのほか、夜の来店予約の取り付け作業に追われます。出勤前に美容院での髪のセットや着付けはすべて自腹。お客さんとの同伴出勤には通常ノルマがあり、できなければ戦力外通告を受けることも。土日はお客さんからの接待ゴルフなどのお誘いに付き合うのもホステスの日常です」

実際は「365日24時間働けるような体育会系女子が多く、そうでないと務まらない仕事」と白坂氏。

夜の銀座は、年功序列ではなく売上主義で評価される厳しい世界であり、万一お客さんからのツケ(売掛金)が回収できなければ、自分で回収したり、保証したりしなければなりません。ホステスが、良客を見抜く力が磨かれるのはそのためだと説明する白坂氏。

 

一流のビジネスパーソンを見抜くポイントは?

白坂氏がこれまでの接客業で得た、一流のビジネスパーソンのポイントについて教えていただきました。

逆境に強い

「ある常連さんは地方に転勤が決まり、それを降格と受け取り、連日ヤケ酒を飲みに来ましたが、私は内心この人は出世しないと思いました。一方、別のお客さんは同様に地方に左遷されても、最後のお別れということで、店ではドンペリをふるまってくれました。その2年後、その方はなんと上場企業の社長として舞い戻ったのです。その方は、そこでめげたり腐ったりせず、目の前の仕事を一生懸命頑張ってきたのだと思います」

直観力がある

「経営者のお客さんから、『A社を買収したいんだけど、どう思う?』などと相談されることも。秘密を守る私に語ることで気持ちを整理しに来ているのです。でも、迷い続けている人は出世しません。出世するのは、“直観力”や“決断力”がある人。第六感が優れている人は五感を磨き抜いているので、当てずっぽうとはレベルが違います。京セラ創業者の稲盛和夫さんの著書にも、『大きな仕事は大体直感で決めている』ということが書かれています」

変化を厭わない

「富士フィルムはすでにフィルム会社ではなくなりました。たった20年程度で医療、医薬などの分野に事業を広げて業績を伸ばすことができたのは、時代に合わせて変化する勇気があったから。そんなスタンスの人や企業が今後も発展するのではないでしょうか」

 

本当に“粋な人”の定義とは?

白坂氏が考える“粋な人”の定義についても触れられました。

「自分さえ良ければいいという発想になりがちな格差社会に反し、江戸時代では、人様のために行動できることが『粋だね』といわれていました。渋沢栄一の本にもあるように、仕事は単なるお金儲けではなく、両軸が大事で、いかに“世の中のためになっているか”という哲学を持つべき。バブル期の拝金主義の時代を経て、本来の日本人らしさを取り戻す時代になってきたと考えています」

その好例として白坂氏が挙げたのは、スーパーボランティアとして知られる尾畠春夫さんでした。

「尾畠さんのスタンスは、『してあげるのではない、させてもらうんだ』ということ。また、東日本大震災が起きた直後でも、他者に配慮してちゃんとお店の列に並び、争いが起きないのは日本人ならでは。“人への思いやり”を持った生き方が、究極には日本人としての最高の幸せであり、“粋な”生き方なのではないでしょうか」

 

「思いやり」と「粋」が息づく銀座の街

夜の銀座では、粋な男の定義として、「宵越しの金は持たない」「見返りを求めない精神」があると指摘する白坂氏。

時間制のキャバクラとは違い、クラブは閉店までいても料金は同じだそうです。かといって、開店から閉店まで飲み続けるのは粋ではありません。

「中には、席が混んでくるとまだ来てから30分しか経っていなくても、店やほかの方に配慮して席を空けてくださるお客さんも。“やせ我慢”ではありますが、それは粋なふるまいであり、日本ならではの文化の一つです」

GHQと渡り合った男として知られる白洲次郎にしても、銀座で飲み歩くために頑張ったという作家の渡辺淳一にしても、ふるまいが粋だったからこそ、銀座ではモテモテだったといいます。

「銀座に通うお客さんは仕事ができる人ばかりなので、頑張って朝早くから営業メールを送ってくるホステスを応援する意味で店に通ってくれるのです。そんなお客さんの懐の深さで成り立っていますが、女性目的ではなく、それを支える男性の美意識で成り立っているのも夜の銀座ならではです」

 

銀座のママ直伝!本物の“おもてなし力”

バブル期の銀座で3000件あったクラブは、今や3分の1に減少。現在、コロナ禍により店の閉店が増えているものの、空きテナントが意外と少ないのは、その分出店者も多いからだそうです。

そんな競争原理の激しい銀座で生き残るには、本物の“ビジネスセンス”や“おもてなし力”が必要だと語る白坂氏。白坂氏が夜の銀座で培った“おもてなし力”の一部を抜粋して紹介します。

相手に敬意を示すこと

「たとえば、IPS細胞について話を振られたときに、何も言えなかったら話になりません。最低限その意味を理解した上で、適切な相槌を打てることが、聞き上手になるポイントです。1日10分は新聞や雑誌などで情報を収集し、どんなジャンルでもいいから、初めて会った方と盛り上がれる得意な話題を5つは持っておきましょう」

褒め上手になること

「一流の人が集まる夜の銀座では、『高そうなネクタイですね』は褒め言葉になりません。組み合わせのセンスや色柄が似合っているといったことを具体的に褒めるのです。おだてるのではなく、観察力を磨いて相手のいいところを探してあげるのがポイントです」

相手に関心を持つこと

「関心をもって相手のことを覚えておくと、心をぐっとつかむことができます。会社で不祥事があったときにその会社の役員さんが来たら、『テレビを観ましたが、大変でしたね』とまずはお声がけすることで、相手は自分を気にかけてくれていると感じ、嬉しいものです」

 

“サービス”は見返りを求めるもの、“おもてなし”は見返りを求めないもの

“一流のおもてなし”の一例として白坂氏が挙げたのは、“最上のおもてなし”で知られるリッツカールトンの初代社長・高野登氏のエピソード。

「“おもてなし”は文字や言葉やマニュアルではなく、ふるまいそのもの。今、目の前のお客様に何をして差し上げるのがベストであるかを考えて行動するのが、ホスピタリティなのです。“サービス”はきっちり見返りを求めるもの、“おもてなし”は見返りを求めないものであり、ホステスはそのバランスをとることが大事だと考えています」

 

ゆとり世代、さとり世代を上手に育てるには?

今も昔も世代間ギャップはありますが、夜の街では特に若い女性が戦力。白坂氏は経営者として多くのホステスを育ててきた経験から、人材育成についても言及しました。

「ゆとり世代やさとり世代を育てるのは、なかなか難しい」と率直に語る白坂氏。実は、「クラブ稲葉」では、他店とは違ってノルマも戦力外通告もないそうです。

「今の若い人にはノルマを課すよりも、『みんなでがんばろう』といった方がうまくいく」と、白坂氏。若い世代が自分のペースでゆっくり成長するのを見守ることで、店のチームワークが生まれ、自然と役割分担ができるようになったといいます。

「気をつけているのは、人前で叱ること。いきなり叱らず、上から目線ではなくマニュアルを示しながらていねいに話し、じっくり育てるようにしています。昭和の時代みたいに『見て覚えろ』は若い世代には無理。そしてできたらちゃんと褒めることも大事。働き方を観察して、『あのときお客さんにかけた言葉がよかったね』などと具体的に言わないと心に響きません」

そして信頼関係を築き上げたうえで、ようやく厳しいことをいうのがポイントだとか。

「たとえば目標設定として、イベント期間の間だけ頑張らせる。小さな目標を与えて、それを達成させることで、本人に自信がついていきます」

さらに、「この子は大丈夫」というところまで育てたら、「安心感を持って任せる」のが白坂流。現状、経営するラウンジを26歳の若手に任せていて、お客さんの世代交代もスムーズにできているといいます。

 

これからの銀座を新しいカタチで創造したい

白坂氏の活躍は夜の銀座にとどまらず、銀座をハブにさまざまな発信を続けています。これまではそれぞれが一国一城の主人であまり交流がなかった夜の銀座ですが、震災以降は「何かあったらお互い助け合いましょう」という流れに変わったといいます。

白坂氏が代表を務める「銀座なでしこ会」が手がける、銀座のビルの屋上で養蜂するというユニークな企画「銀座ミツバチプロジェクト」について紹介されました。

「今、ミツバチが世界中から消えつつあって、絶滅したら人間も絶滅するといわれています。電磁波や農薬の影響とも言われています。そもそもは銀座の旦那衆の遊びとして始まった企画ですが、社会課題として取り組むことになりました。ミツバチが飛ぶ街は人にとっても環境のいい街ということで、銀座で無農薬、低農薬マルシェを開いて食や地方創生の課題にも発展しています」

いろんな地域の野菜やさくらんぼなどを銀座のビルの屋上に植えたことで、やがて野鳥が増えてきました。銀座産のハチミツは年間2t生産できるようになり、ハチミツを使ったハニーハイボールというカクテルを提供したことも。

「活動を通じ、これまで同業のライバル同士や関係のなかった者同士の交流の場にもなっていて、銀座が“里山”と化しつつあります。そんな取り組みが今、全国に広がって町おこしがされるようになりました」

最後にアフターコロナについて、「里山のような“銀座村”を体感いただけるよう、『ミツバチプロジェクト』のイベントを再開し、銀座の美容師しか作れない髪型や着付けをして、クラブ体験や1日ママ体験なども企画しています」とビジョンを語る白坂氏。

 

コロナ禍で夜の街がピンポイントでダメージを受ける中、自身のビジネスだけでなく、銀座全体や社会を見渡しながらその先を見据えているのがとても印象的でした。

 

パワフルな白坂氏の今後の活躍から目が離せません。

 

パイオニアセミナーは年間通じ、定期的に開催しています。今後の詳細は、こちら

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